- Ten Nights of Dream #2 -
言葉の雨が降る。
激しく、とめどもなく。
ふらふらと右へ倒れそうになると、右ストレイトが待ちかまえ、左へ倒れそうになると、左ストレイトが待ちかまえる。
振り子のように、右へ、左へ、左へ、右へ、かなしみのダンスを踊る、わたし。
いっそのこと、ひと思いに突き刺してくれたなら、と思う。
とめどもない言葉の雨に打たれ、爪先立ちで、踊りつづける。
きみのボッサノーバは、わたしのブルーズ。
きみのスキャットは、わたしのハミング。
きみの連符は、わたしの休符。
生まれるシンコペーション。
やまない雨は、次第に強さを増していく。
きみはまるで、どこまで言えばわたしが傷つくかを試しているかのよう。
ちょうど、庭に蟻(あり)の巣を見つけた幼い子どもが、たわむれに巣に指を突っ込んで、どこまで壊すことができるかを試すように。
どこまで殴ればわたしが倒れるか。見届ければ、きみは満足したのだろうか。
我に返り、じぶんの残酷さに、おそれおののく、きみ。
きみがそんなに泣くから、じぶんも泣いてしまいたくなった。
けれども、ここでじぶんが泣くのは、ひどくずるいような気がして、こらえたら、じわりと浮かんだ涙が、すっと呑みこまれた。
がまんできるじぶんが、がまんできてしまうじぶんが、とてもうらめしく、しらじらしく思えた。
じぶんの弱さを見せられる強さが、わたしには、ない。
泣くことがずるいのではなく、泣かないことがずるいのだろうか。
じぶんの身を守るための鎧(よろい)が邪魔をして、なみだがおもてに、出なくなってしまったのか。
わたしはたずねる。「なぜもっとはやく言ってくれなかったのか?」
「なんども言いたかったのに、言う隙を与えてくれなかった」
じぶんを守るための鎧(よろい)のはずが、人のこころをも苦しめることを知る。
冷えた身体を引きずって、ひとりの世界に帰って、ふっと鏡を見れば、なみだでにじんだマスカラが、ひどく滑稽に思えた。
まるでピエロのように見えて、とてもかなしいはずなのに、わらってしまった。
*
疲れた身を横たえて、泥のように眠った時、こんな夢を見た。
川べりを散歩していると、何やら人だかりが出来ていた。
見れば、爺さんが一人、輪の中心に居り、余り(あまり)関わりたくないとでも言うように見物人達は距離を置いて見て居るのが分かった。
爺さんは自分の芸当を見せようと躍起になっている様子で手品を披露しようとするが、何も起こらない。
「見ておろう、見ておろう」
そう言っては繰り返し繰り返し技を仕掛けるが一向に成功せぬ。
とうとう痺れ(しびれ)を切らした見物人が立ち去ろうとした時、爺さんは、
「今になる、きっとなる」
と言ってすっくと立ち上がり、我々に背を向け、目の前の川の方へ向かったかと思うと、ざぶざぶと水の中へ入って行った。
どんどん沈んでいったが、皆、直ぐ(すぐ)に上がって来るだろうと思って、何もせずにじっと待っていた。
どうせ「見ておろう、見ておろう」と言い、ずぶ濡れになりながら、上がって来るだろう、と。
しかしながら、いくら待っても爺さんは上がって来ず、川面は静かな流れを取り戻した。
後に聞いた話では、服にあちこち隠していた手品の種が水を含んで重しとなり、爺さんは上がるに上がって来れなくなったのではないかと言う。
自分で仕込んだからくりに溺れ、死んだのだ、と。
*
爺さんの死を見届けて、泥沼の薄墨からゆっくり引き上げられて目覚めたとき、我が鎧(よろい)が脱げていることを、願った。
脱皮したばかりで、まだ痛々しいくらいに過敏な肌に震える、裸の生き物のようであるように、と。
そして、映画『シティ・オブ・エンジェル』で、天使から人間に成り変わった青年が、はじめての行為を行った時、
「あたたかくて、ほんのすこし、痛い」
と言ったときの気持ちを、想像してみるのである。
Bob Dylan - ‘A Hard Rain's a-Gonna Fall’
■「YOU MAY DO YA #1」
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