2010年10月29日金曜日

Scary Monsters

 先日、奇妙な思いをしました。怖くもありました。

 朝、家を出る時、マンションのロビーで管理人さんと会いました。いつもでしたら、「おはようございます」「いってらっしゃい」なんて挨拶を交わすのみ、なのですけれど、管理人さんがなぜか手招きをします。

「○○(私の姓)さん、ちょっと」

 一体なんでしょう? 夜中に音楽かけていてうるさい、とか、なにか怒られるのでは。。と、妙にドキドキしてしまいます。うしろめたいことをしているのがいけませんね。

 聞けば、

「今朝、ケイサツの人が来てね、○○(私)さんと連絡が取りたいと言うんですよ」

 けケイサツ?! わたくし、誓ってケイサツ沙汰になるようなことはしていません! そりゃ、前の晩、酔っ払ってお取引先のかたに絡んだりはしましたが。。手は出していないはず!(当然)

「で、名刺を渡してくれって、置いて行ったんですよ」

 管理人さんが小さな紙片――名刺を出しました。裏には手書きの文字が書いてありました。



  「ネックレスの遺失はありませんか?」
   △△ケイサツ ××課□□□本部
   03-****-****
   内線 ****



 管理人さん曰く、「名刺の表には、◎◎ケイサツって書いてあるけど、今は△△ケイサツに籍があるので、そちらに連絡くださいとのことでしたよ」

 まったくなんのことか分かりません。言葉を失っていると、管理人さんは、

「まあ、何か大事件ということではなさそうだけど、連絡してみてください」

 と。私は、

「えっと、まったく心当たりがないのですけど……。そうですね、一応、連絡してみます」

 とだけ言って、そそくさと表へ出ました。管理人さんに怪しまれているかなあ、などと考えながら。

 昼休み、会社の人たちに早速そのことを話しました。すると、皆さん、好き勝手なことを言います。

「名刺見せて」

「うわ、なんか、紙がぺらっぺらじゃないですか」

「しかも、紙のはじっこがギザギザになってて、手作りっぽいっすね。偽物じゃないすか?」

 ギザギザというのは、ミシン目から切り離したっぽくなっているという意味です。

「でもさ、ちゃんとケイサツのマスコット(なに君っていうんでしょうね)も載ってるし」

「そんなもの、ネットでいくらでも拾ってこれるじゃん」

「住所も電話番号も載ってるけど?」

「そんなのもネットですぐ調べられるじゃん」

「ケイサツのホームページのURL(アドレス)が全角英字なのが、逆に本物っぽくない?」

「でも、なんで手作り風の名刺なんだろう?」

「経費削減なのかな」

「名刺は自前で用意しなきゃいけないんじゃない?」

「大変だな」

「まあ、名刺を置いていくくらいだから、本物なんじゃない?」

「でもさ、名刺の表と裏で違う署なのはあやしいよ」



 ……と、皆さん、いろいろなことを言ってくれます。

 わたしは自分の疑問点を挙げました。「まず、おかしな点が二つあります」と。

「一つ目。ネックレス。名前や住所が書いてあるわけでもないものの落とし主の候補に、なぜわたしが挙がるのか?」

「二つ目。ここ二ヶ月以上、△△(そのケイサツ署のある地域)には行っていない」


 自分で言っていて、こわくなりました。私は一体、何に巻き込まれているのだろう? どんなことが起こっているのだろう? と。


「たとえばさ、○○(私)さん家に泥棒に入って、ネックレスを持って行っちゃったんだけど、△△(そのケイサツ署のある地域)で別の家に泥棒に入った時に捕まって、『そういえば、どこそこにも泥棒に入りました』って自白したとかなんじゃない? それでケイサツが調べてるとか」

 泥棒に入られて気がつかないって。。何か盗られて気がつかないって。。

 まあ、確かに、玄関の鍵をよくかけわすれます。ネックレスはいくつか持っていますが、いちいち数えてないので、なくなっても気がつきません。……ていうか、ネックレス以外に盗るものがないのでしょうか。。

「それにしても、わざわざケイサツが捜査してるってことは相当高価なネックレスってことだよね?」

 高価なネックレス、いわゆる、“本物”のジュエリー ―― genuine jewelry ということですよね、ティファニーとかブルガリというような――というものをわたくしは持っておりません。。はい、持っているわけがありません。

 会社の男の子で、やけにいろんなことに詳しい人に聞いてみたところ、

「ケイサツは、まず名刺は置いていかないですね。普通、盗難とかの場合は、ここに連絡してくださいって紙を渡しますよ」

 どうしてそんなこと知ってるの? と尋ねると、泥棒に入られたことがあるからです、とのことでした。


 でも、とりあえず。。泥棒には入られていないと思います。。。というか、入られていたとしても盗られて困るようなものは。。。ないはず。。。。


「ネックレスで釣ろうとしてるストーカーとか?」

「なにか新手の悪徳商法なんじゃない? 高級そうなネックレスを目の前に出して『このネックレス、落としましたよね?』って聞いて、『そうですそうですあたしのです』なんて言っちゃったら、『拾得物に対する報労金一割ください』とか。で、ものすごい金額をふっかけてくるとか?」

「じゃあ、なんでわざわざケイサツの名を騙るんだろう?」

「……」

「ていうか、なんでネックレスなんだろう?」

「呪いのネックレスなんじゃない? それを首にかけると一週間以内に……」(貞子か!)

「それか、何かの事件現場にそのネックレスが落ちていて、持ち主を探してるとか?」(火曜サスペンス劇場ですか!)

「……」

 帰宅後、友人にも相談しましたが、やはり似たような意見。泥棒に入られた説が有力では?と。。こ、こわいです!





 整理すると、

 【奇妙な点】

 1. 手作り風の名刺
 
 2. 名刺の表のケイサツ署名、電話番号等と、名刺の裏に手書きされたそれらが違う(異動になったとのことだが?)

 3. 氏名・住所が書いてあるわけでもないものの持ち主の候補に、なぜ私が挙がるのか

 4. 名刺の表・裏どちらの地域にもしばらく(二ヶ月くらい)行っていない。

 5. ケイサツが捜査しているらしいネックレスとは? どれほど高価なものなのか? 事件性があるのか?

 6. ちなみに、事件に巻き込まれるようなところに行ったりしていない(本当です!)





 さて。どうしましょう。こわくて、連絡できません。。







 BGM: Duffy -‘I'm Scared’

2010年10月22日金曜日

Force and Resistance

 先日、10/17(日)、渋谷のクラブイベントにて、バンド仲間とパーカッションのライヴを行いました。

 イベント自体も、ライヴも、あまりにも楽しすぎて、ついハシャギすぎてしまい、翌々日筋肉痛になってしまいました。。

 ちなみに、筋肉痛になるのが遅い=運動不足 or 加齢の為、的なことが良く言われますが、Wikipedia によると、あまり関係ないらしい? です。(そういうことにしておいてください!)

 ともあれ。音楽の力ってすごいですね。

 音楽とダンス、お酒であふれていたあの空間。あの場にいて、楽しんでいない人なんて誰ひとりいなかったんじゃないか、というくらい、アットホームな雰囲気に包まれていました。

 あまりにも満足すぎて、イベント終了後、帰宅し、すぐに寝てしまいました。。

 以前、甲本ヒロトさんがおっしゃられていましたねえ。

「ライヴの後に打ち上げはしますか?」と問われて、

「ライヴはパーティーだ。パーティーの後にパーティーはしない」

 と。

 かっこいいですね。。

 わたくし(たち)、そんなかっこいいものでもありませんが、まさにその通り、という感じです。

 パーティーの後にパーティーはいらない。なんて。

 すてきなパーティーに参加できたこと、また、見に来てくださったかたに心より感謝申し上げます。


~~~


 が。。わたくし、失敗してしまいました。。演奏もですが、それ以前に。。

 興覚めですみません。。

 何か、と言いますと、リハーサル時、ハリキリすぎて、思いっきり太鼓さんを叩いてしまい、手を痛めてしまったのです。。

 本番でさらにムキになってしまい、大変なことになってしまいました。

 添付の写真をご覧ください。。ひどいものです。。本当に何をやっているんでしょうか。。。

 (あ、ちなみに、写真は翌日に撮ったものです。今は大分良くなりました)

 楽器というのは正直ですね。

 大きな音を出そうと、力任せに演奏すれば、それが自分に返ってくるようです。無理強いを迫れば迫るほど、拒絶され、反抗され、自分の意思とは違った音で返されるものなのかもしれません。

 楽器と対話して、どうすればいい音が出るのか、どうすれば自分の思うような音が出るのかを探っていくのがいいんですかね。

 歌も、そうですよね。無理をしていきなりガナリ声を出せば、喉を痛めてしまいます。自分の身体に聴きながらうたうのが良いような気がします。



 ちなみに、友人でコーヒーを淹れるのが上手な人がいますが、豆に話しかけるそうです。「おいしくなあれ」と。そういいながら淹れると本当においしくなるんですって。でも、みなさまは真似しない方がよろしいでしょう。心の中で、そっと語りかけるくらいで。

 料理ってそういうところがありますね。怒りながら作った料理は、なんとなくおいしくなさそうな気がします。大根おろしをする時、怒りながらすると辛くなる……という説がありますが、本当だそうですよ。怒っているときにすると、すり方が荒くなる為に辛味成分が出やすくなるとか。ゆっくり、丁寧にすると辛味成分が出にくく、まろやかな味になるそうです。というわけで、辛いのが好きな方は、怒りながらすってみてください(笑)。



 人間関係もそうですかねえ。無理を押し付ければ、軋轢が生まれ、ギクシャクしてしまいます。

 あなたは、パートナーや友人、家族に、なにか無理強いしていないですか? 無理を迫れば、思わぬしっぺ返しが待っているかもしれません。

 猫などは分かりやすですね。嫌がっているのを無理に抱こうとすると、噛みつかれますから。

 え? そういうわたくしですか? ――はい、気をつけたいと思います。










“リハーサル? マラソンにリハーサルはないよ。常にトレーニングはするけれど”――とあるマラソンランナー


 BGM: Muse -‘Resistance’

2010年10月8日金曜日

YOU MAY DO YA #1

- Ten Nights of Dream #1 -



 こんな夢を見た。

 住まいのすぐ裏の公園──囲町公園という──で、その道では名の知られているらしいパーカッショニストが演奏しているという。それほどの人物が何故うちの裏の公園などで演奏しているのか、理由は定かではない、が、ともあれ折角(せっかく)なので観に行ってみることにした。

 着いた時には既に物見高い見物客が溢れており、太鼓の音が人々の頭上を超え空高く響き渡っていた。

 どれ、どんな人物かと人垣の間から覗いてみると、濃いサングラスをかけた小柄なアフリカ系の男性が心持ち顎(あご)先を突き出して空(くう)を見上げながらバチを操っているではないか。

 躍動的なリズムから感じられる印象では、もっと大柄で野性的な人物かと思いきや、まるで木のように静かな印象を与える人物だったので肩透かしを喰らったような体(てい)。しかしながら、肩から先だけが別の生き物――魔術にかかった大蛇かなにか――のように思え、それが凄みをさえも感じさせるのであった。

 異国の人は、打面には一切目も向けず、顎(あご)を上げたまま、ただ只管(ひたすら)無造作に音を繰り出し続けていた。

 目が見えないのだろう、と思い、隣りにいた男に「盲人かね」と尋ねると、「おやそうかい」と返ってきた。「盲人だとも」とさらに私が返すと、「なしてそう思う?」と言う。私は「そう思うからだ」とだけ答え、その男から離れ、異国の人が繰り出す音に耳を傾けた。

 音は一向に鳴り止まなかった。異国の人は、見物人には一向頓着もせず、休みなくバチを操り続けていた。

「もう二時間になるぜ」隣りにいたアヴェクの男の方が言った。

「うん」女が返した。「すごいね」

 何がだいと私が尋ねると、彼らがやって来た二時間前からずっと、ただの一片(いっぺん)の休みもなく叩き続けていると言う。

「ほう、そうかね」

「そうだとも。彼奴、人間じゃない」男は信じられないといった面持ちで言った。「何がすごいって、彼奴、譜面も何も見てないんだぜ」

「ほう、そうかい」

「譜面も見ずに、二時間通して、一瞬の逡巡(しゅんじゅん)もなく、僅(わず)かな淀みもなくああやって演奏できるものかね。適当に叩いているように見えて、あれで狂いもなく正確に叩いているんだぜ」

 言われてみると尤(もっと)もだと思い、異国の人の方へ再び目を向けた。

「確かに、そうだねえ」と言いかけると、アヴェクの隣りにいた別の男が、

「なに、そんなに大したことじゃないさ」と言い出した。

「何が大したことねえってんだい」アヴェクの男がもの凄い剣幕で捲(まく)し立てた。

「いやね、あれは、太鼓を演奏しているんじゃねえんでさ」

 我々は顔を見合わせた。

「身体の中にね、リズムが流れていて、そいつを腕から放出しているだけなんでさ」そう言って男はにやりと笑った。「まるで泉みたいにね、リズムが後から後から湧き出てくるもんで、そいつをひょいっと放り出しているだけだから、間違えたり躓(つまづ)いたりすることなんかねえんでさ」

 我々はなんと返答して良いのかも分からず、ただ黙っていた。

「そもそも泉には『正しい』韻律なんてものはないから、『間違い』なんてものもねえんでさ」

 成程(なるほど)、太鼓を叩くというのはそんなものなのか。自分の好きな様に叩けば良いのかと思い始めたら、自分でも何か叩けるような気がして居ても立ってもいられなくなり、その男とアヴェクを後にし、そそくさとその場を立ち去った。

 薬師通りの古道具屋に古びた太鼓が置いてあったのを思い出し、早速出向いて三円二十銭のところを三円に値切って買い求め、裏山へ出向き、太鼓を叩き始めた。

 最初のうちは調子が良かった。自分の好きなように、自分の思うままに叩けばいいのだから、好き勝手に叩いてみる、のであるが、どうも、具合が良くなかった。

 あの異国の人物のようなリズムは到底鳴り出しえないのである。

 何度も、何度も、何度も、何度も、試してみるのであるが、ついに私は、せめて自分自身が快いような、小気味良いような、リズムを刻むことはできず、ただ、茫然とするばかりなのであった。

 そうして、どうやら私の身体にはリズムは流れていないのだと悟った。私の身体の泉には湧き上がるリズムの水は宿っていないのだ、いや、そもそも私の身体には泉すらないのではないか、と。



 そして、盲目のアフリカ人男性が此処(ここ)にいる理由もなんとなく分かったのであった。

2010年10月1日金曜日

I'm Your Vehicle, Baby

 はずかしながら。

 わたくしが、作詞・作曲をした歌が、この世に存在していたりします。

 存在しているだけです、流通はしていません。

 そんなこと言ったら、おれにだって、わたしにだってと仰るかたがいるでしょうか?

 一応、my song は、自分以外にその存在を知っている人がいちゃったりします。

 そういう意味で、この世に “存在して” います。“認識されて” いる、と言い換えてもいいかもしれません。

 なんとなく、こはずかしいものですね。いわゆる『真夜中に書いた手紙』でも読まれているようで...。

 存在するって、こっぱずかしいものなのでしょうか。認識されるって...。生きるって...。(以下略)



 さて、先日、友人のライヴを観賞しに行きました。その友人のライヴを観るのは、かなり、ひさしぶりでした。

 なんとなく、なんにも言わないでいきなりライヴを観に訪ねて行って驚かせてみようと思ったのですが。

 わたしのほうが逆に驚かされました。

 その、わたしが作った歌をいきなりうたいはじめたからです。

 最初は、なんの曲か分かりませんでした。なぜなら、旋律が違っていたからです。

 けれど、詞は、わたしが書いた(存在させた・認識させた)そのままの、一字一句変わらないものでした。

 人は、予測もできないことが起こると言葉を失うものなのでしょうか。

 それまでノリノリでライヴを観ていたわたくしでしたが、思わず顔をそむけ、黙り込んでしまいました。

 で、そのまま何事もなく、次の曲へ行ってくれれば良いのに。友人ときたら、その歌の成り立ちを説明しはじめてしまいました。

「さっきの曲は、今そこにいる○○○○(私の名前)さんが書いた曲……の詞だけを頂戴して、勝手におれなりのメロディーをつけました。べつに○○さんの曲がだめってことじゃないんだけど。自分でうたう歌は、自分のメロディーでうたいたかったのでそうしました」

 とかなんとか。

 いやあ、あせりますね。なんの予告もなく、心の準備もなく、自分の隠された過去を暴かれたようで、ひさしぶりに冷や汗をかきました。しかも、びっくりさせようと思った相手に100倍にして返されたようで。やられたという気持ちでいっぱいでございます...。

 ところで、一緒にそのライヴを観に行っていた女性の友人から、

「勝手に曲を変えられたりして。いいの?」

 と聞かれました。

 ふむ。たしかに、ちょっと考えると、失礼な...ということなのですかね?

 でも、なんとも思いませんでした、いえ、むしろうれしく思いました。

 よく、メロディーだけもらって、詞は自分のオリジナルでうたう、というのは聞いたことがあるような気がします。が、その逆、というのは、めずらしいような気がします。

 曲じゃなくて、詞なんだ、というのが意外でもあり、また、だからこそうれしかったのかもしれません。

 わたくしの場合、特にその歌に関しては、一番伝えたいところは、詞です。その詞をうたいたいが為に曲をつけました。ええ、若かりしころ。ああ、はずかし。

 ですから、その歌に関しては、詞を伝える為に、メロディーが、あります。

 もし、詞が大切な荷物だとしたら、メロディーは、それを載せて運ぶ乗り物のようなものなのです。

(で、歌い手は、その乗り物を運転する運転手?)

 まあ、ですから、乗り物がなんであろうと、わたしの伝えたかったこと(=詞)が運ばれてゆけば、それで十分だ、と思うのです。

 伝達方法は違えども、詞は、運ばれてゆくのです。

 そして、日々は続いてゆくのです。

 そんな、秋晴れのある日の出来事でございました。





 # ほんとはね、詞と旋律とが一体となった、もう、それ以外の組み合わせも、それ以上の組み合わせも考えられない楽曲...というのが理想形なんでしょうか?




 ではでは。