はずかしながら。
わたくしが、作詞・作曲をした歌が、この世に存在していたりします。
存在しているだけです、流通はしていません。
そんなこと言ったら、おれにだって、わたしにだってと仰るかたがいるでしょうか?
一応、my song は、自分以外にその存在を知っている人がいちゃったりします。
そういう意味で、この世に “存在して” います。“認識されて” いる、と言い換えてもいいかもしれません。
なんとなく、こはずかしいものですね。いわゆる『真夜中に書いた手紙』でも読まれているようで...。
存在するって、こっぱずかしいものなのでしょうか。認識されるって...。生きるって...。(以下略)
さて、先日、友人のライヴを観賞しに行きました。その友人のライヴを観るのは、かなり、ひさしぶりでした。
なんとなく、なんにも言わないでいきなりライヴを観に訪ねて行って驚かせてみようと思ったのですが。
わたしのほうが逆に驚かされました。
その、わたしが作った歌をいきなりうたいはじめたからです。
最初は、なんの曲か分かりませんでした。なぜなら、旋律が違っていたからです。
けれど、詞は、わたしが書いた(存在させた・認識させた)そのままの、一字一句変わらないものでした。
人は、予測もできないことが起こると言葉を失うものなのでしょうか。
それまでノリノリでライヴを観ていたわたくしでしたが、思わず顔をそむけ、黙り込んでしまいました。
で、そのまま何事もなく、次の曲へ行ってくれれば良いのに。友人ときたら、その歌の成り立ちを説明しはじめてしまいました。
「さっきの曲は、今そこにいる○○○○(私の名前)さんが書いた曲……の詞だけを頂戴して、勝手におれなりのメロディーをつけました。べつに○○さんの曲がだめってことじゃないんだけど。自分でうたう歌は、自分のメロディーでうたいたかったのでそうしました」
とかなんとか。
いやあ、あせりますね。なんの予告もなく、心の準備もなく、自分の隠された過去を暴かれたようで、ひさしぶりに冷や汗をかきました。しかも、びっくりさせようと思った相手に100倍にして返されたようで。やられたという気持ちでいっぱいでございます...。
ところで、一緒にそのライヴを観に行っていた女性の友人から、
「勝手に曲を変えられたりして。いいの?」
と聞かれました。
ふむ。たしかに、ちょっと考えると、失礼な...ということなのですかね?
でも、なんとも思いませんでした、いえ、むしろうれしく思いました。
よく、メロディーだけもらって、詞は自分のオリジナルでうたう、というのは聞いたことがあるような気がします。が、その逆、というのは、めずらしいような気がします。
曲じゃなくて、詞なんだ、というのが意外でもあり、また、だからこそうれしかったのかもしれません。
わたくしの場合、特にその歌に関しては、一番伝えたいところは、詞です。その詞をうたいたいが為に曲をつけました。ええ、若かりしころ。ああ、はずかし。
ですから、その歌に関しては、詞を伝える為に、メロディーが、あります。
もし、詞が大切な荷物だとしたら、メロディーは、それを載せて運ぶ乗り物のようなものなのです。
(で、歌い手は、その乗り物を運転する運転手?)
まあ、ですから、乗り物がなんであろうと、わたしの伝えたかったこと(=詞)が運ばれてゆけば、それで十分だ、と思うのです。
伝達方法は違えども、詞は、運ばれてゆくのです。
そして、日々は続いてゆくのです。
そんな、秋晴れのある日の出来事でございました。
# ほんとはね、詞と旋律とが一体となった、もう、それ以外の組み合わせも、それ以上の組み合わせも考えられない楽曲...というのが理想形なんでしょうか?
ではでは。
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